第7回 定期演奏会曲目解説
渡辺和(音楽ジャーナリスト)
◆瀧廉太郎(河野敦郎):廉太郎の四季より《花》、《納涼》
江戸幕府崩壊から11年目、瀧廉太郎(1879-1903)は別府湾を望む日出で家老職を務めた武士家系の長男として、今は虎ノ門ヒルズを見上げる場所となった東京の旧武家屋敷街に生まれました。明治新政府官僚となった父の転勤で横浜、富山、大分、竹田と移り住んだあと、上野の音楽学校に通います。飛び抜けた才能を発揮し日本人初の男子音楽留学生としてベルリンとライプツィヒに学び、爛熟期に至ったヨーロッパ芸術音楽の最先端を経験するも、結核に罹り無念の帰国。療養先の大分市内で短い生涯を終えることになります。
まだ飛行機が人を運び飛び始める前のことです。廉太郎は、それまでの人類が経験したことない長い距離を移動し、様々な風景を眺め、多くの経験をしました。凝縮したそんな23年の濃密な時間が、現在判明する限り35曲の音楽作品となって私たちに遺されています。
本日披露されるのは、廉太郎が21歳の時に「組歌」なる題名で出版した伴奏形態の異なる4つの歌から、Rentaroオーケストラのために大分県立文化芸術大学教授の作曲家、河野敦郎が特別に編曲した2曲。「春のうららの…」と始まり、知らぬ人はいない名曲《花》は、オリジナルの二声とピアノからどのように響くでしょうか。声とピアノのために書かれた組曲中でも最も声楽曲らしい《納涼》、夏の海辺の夕方をコンパクトなオーケストラが爽やかに歌い上げます。
◆ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番《皇帝》
人類の平等を謳った筈のフランス革命がナポレオン戦争へと向かうヨーロッパ社会激動の真っ只中、戦場を避ける旅をしながら、青年音楽家ベートーヴェン(1770-1827)はライン河畔の学園都市ボンからドナウ川沿いの帝都ウィーンに出てきました。貴族社会の最後を支えた聡明で理知的な若い貴族らに気に入られた青年は、まずはピアニストとして名を成します。研修時代を終え、傑作交響曲や室内楽曲を連発するようになっても、ピアノ弾きとしての名声は衰えませんでした。
同じように名ピアニストとしてウィーンにデビューしたモーツァルトが2ダース以上のピアノ協奏曲を遺したのに、ベートーヴェンはたった5曲を完成しただけです。社会の大変動を挟んだとはいえ、たいそうな減少ぶりですね。それどころか、最後のピアノ協奏曲が発表されてから、57年の生涯にはまだ17年もの時間が残っていたのです。
ピアノの達人は、どうして協奏曲の筆を折ってしまったのでしょう。後に遺されたベートーヴェンの手紙や記録によれば、この作品を書いていた1810年前後には、聴力不足が決定的となっていたということです。ピアノが発する音を聴こうとすると、相当に無茶な楽器扱いをせねばなりません。意外かもしれませんが、経験を積んで頭の中できっちり音が鳴るようになっている作曲家というプロにとって、実際の音が聴こえているかどうか、作曲上はさほど問題ではないのです。ですが、演奏をするとなると話が別。耳が聴こえ難くなれば、響きや音色、音量などの把握は困難ですから。
この時代、ピアノという楽器は日進月歩で発達していました。理想の音楽を頭の中でイメージできても、次々と開発される新型ピアノがどのような響きをたてるのかイメージするのは困難でした。ピアニストの活動は断念せざるを得ません。そうなれば、ピアノの名手が自分で演奏できない協奏曲を作曲することへの関心を失っても当然でしょう。楽聖の関心は内面化し、ひたすら音楽による己との対話へと向かいます。素直に外を向いたベートーヴェンの最後の雄叫びが、この《皇帝》協奏曲でした。
アレグロの第1楽章、管弦楽の強奏が築く主和音の柱から、煌びやかな分散和音を撒き散らしピアノが華々しく走り出します。独奏が古典和声空間を一杯に用いながら、複数主題ソナタが雄大に展開。アダージョ・ウン・ポコ・モッソの第2楽章弱では、弱音器付き弦の歌が、ピアノから様々な楽器へと渡ります。ファゴットの音を半音下げて引き継いだホルンが音を吹き伸ばす上に、ピアノが再弱音で次楽章の主題を呟くと、そのまま第3楽章に突入。雄大なアレグロのロンド主題がピアノで意気揚々と出現、オーケストラと渡り合います。まるでティンパニーもピアノになったような打楽器どうしの掛け合いから、一気にコーダへ。ちなみに、仏軍がウィーンを占領していた際に書かれた下書きには、作者の「戦いの勝利の歌だ」とのメモ書きもあるものの、《皇帝》という誠に似合った愛称は作曲家が付けたものではありません。
◆シベリウス:交響曲第2番
日本で言えば明治維新直前から太平洋戦争後までの長い混乱の時代を生きたフィンランド人シベリウス(1865-1957)は、なによりも交響詩《フィンランディア》で知られる作曲家でしょう。ロシア帝国からの祖国の独立を音にしたオーケストラ曲は、今や国家や民族を越えた「荘厳にして盛り上がるクラシック曲」の筆頭格でしょう。
そんなシベリウスの作曲家としての最も大きな功績は、些か時代遅れになり始めていた交響曲というジャンルを20世紀に生き延びさせたことにあります。最初はヴァイオリニストを目指し、ドイツやオーストリアで正統的な作曲教育を受けたシベリウスは、障害に7曲の交響曲を綴り、このジャンルに新たな境地を開きました。とはいえ、イタリアで作曲を開始し、故郷に戻った1902年に完成したこの2作目の交響曲は、未だ19世紀のロマンティックな音楽語法に背かずにいます。帝政ロシアの支配を脱しようとする祖国の気概と情熱を、冷たい自然の響きを背景に描いた巨大にしてより内面的な《フィンランディア》、あるいは北欧版の《運命》交響曲とも呼べる大作。本日演奏される楽譜は、巨大なオーケストラ用楽譜を小管弦楽のために巧みにアレンジする達人作曲家イアン・ファリントンに拠るもの。創設以来、Rentaroオーケストラ九州はこの作曲家の楽譜でベートーヴェンやブラームスの交響曲を何度も演奏してきている日本唯一の専門家集団です。
第1楽章、ソナタ形式のアレグレット。些かノンビリと始まった音楽ですが、重く暗い音のドラマが待ち受けています。第2楽章、テンポ・アンダンテ・マ・ルバート。金管が荒れ狂い、楽想が急激に転換していきます。イタリアで楽想が錬られたことから、ダンテの『神曲』に関係があると指摘されることも。ヴァイオリンの忙しない動きに始まる第3楽章、ヴィヴァーチッシモのスケルツォ。切れ目なく繋がるフィナーレの第4楽章は、荒々しく英雄的な主題が炸裂するアレグロ・モデラート。彼方から永遠に続くかのように息の長い重苦しい歌が延々と繰り返され、やがて力強い勝利の聖歌となり高らかに鳴り響きます。
第一回 大分公演曲目解説
渡辺和(音楽ジャーナリスト)